今年の7月12日、私の祖母が他界しました。 とても暑い夏の日でした。
ばあちゃんの話を少しさせて下さい........ ばあちゃんは、私の父方の祖母です。私の記憶の中にある祖母は、とてもばあちゃんなんて呼べるようなものではなく、いつ会っても『おばさん』のような人でした。母方の祖母は、いつも着物を着て、『おばあちゃん』だったので、よけいにそう子供の目からは見えたのかもしれないのですが、いつもしゃきっとしていて、しゃんしゃんと歩く、元気一杯の若いおばあちゃん。
父は兄弟が多かったので、祖母の家に行くと、いつも従姉妹達がそれはそれは賑やかで、まるで幼稚園のようにみんなで遊んだものです。 祖父が亡くなってからは、法事などの親戚の行事も、私にとっては楽しみの一つだったのです。
そんな祖母の家も、いつの間にか淋しくなり、あんなに広いと思っていたお部屋もお庭も、実はそれほど広かった訳ではなく自分が小さかっただけなんだとわかったのは、私が大人になってから....
事情があって、祖母が私の実家で暮らす様になり、子供達にひいばあちゃんと呼ばれる様になり、『あ−、ばあちゃんも、年をとったんだね』と、母とよく話をしました。それでも、私達が遊びに行くと、子供達といっしょに、ボールで遊んでくれたり、卓球をしたり、本当に元気な達者な祖母でした。 また、活字を読むのが好きで、いつも何かを読んでいました。それは、なんだっていいんです。新聞だったり、私の雑誌や編み物の本だったり、時には子供達の怪獣の本だったり.......
そんな祖母が亡くなったのは、父の兄弟のところから帰ってきて1週間ほどたった時です。前日まで、おばの月命日の供養をしたり、家の回りの草取りをしたり、床屋さんにまで行き、本当に元気だったのです。とはいっても、祖母はもう90も過ぎていたのですけど........
祖母が亡くなってから、叔父の家に手紙が届いたそうです。亡くなる前に、先日までお世話になっていたことのお礼状を出していたそうです。
この日傘は私の宝物です。先日、実家へ帰省した時に、母から祖母の肩身としていただきました。こんなにきれいな色の傘をさして、祖母はどこへ出かけたのかな?そんなことを考えます。少しシミも付いているのですが、それも祖母の歴史かな、と、そのまま大事に使わせてもらおうと思います。
ばあちゃん、天国でじいちゃんに会えたかな?これからは二人で仲良く、みんなのことを見ていてね。
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